そういえば、小学3年生から24歳までいたのも山のてっぺんだった。
小学校は、隣りの山のてっぺん。
毎日1キロ歩いた。
中学校は、小学校から向こう側に下ったところ。
毎日1.5キロ歩いた。
その山は、前方後円墳だった。
航空写真で見るとよくわかる。
もちろん天皇陵ではなく、地方の豪族のものらしかった。
裏のお寺の境内には横穴郡があって、
そのあたりのどこを掘っても、やじりやかわらけが出てきた。
冬には斜面が凍結した。
消防団のおにいさんたちが道にムシロを敷いてくれるのだが、
そのムシロも凍ってしまうと役に立たなかった。
運動靴にロープを巻いて、そろそろと下っていった。
よくうしろでわーっ声がして、
転んだ友達のおとうさんが、滑り台のように道を滑っていった。
そんなときは決して助けようとせずに、
「おはようございます」と言いながら、
そのへんの木に掴まるのだった。
おとうさんは「おはよー気ーつけやー」と言いながら、
姿が見えなくなっていった。
友達に「おとうさん、すべったはったで」と言うと、
「またか。へたくそ」と言っていた。
その頃は運動会で、地区対抗戦があった。
「駅前でチャリ乗ってるやつらに負けんな」が合言葉だった。
うちの地区では、自転車なんて誰も乗らない。
乗って山を下りようものなら、帰りが倍以上たいへんなのだ。
もちろん日頃の鍛錬の差で、いつも山越え地区の圧勝だった。
今頃は梅がきれいだろう。
もう少しすると、桜。
それからつつじ。
どこにでも顔を出すたけのこ。
たんぽぽ、すかんぽ、びっくりするくらい大きなつくし。
いちご、ぶどう、すももがたわわに実る。
ああやっぱり、わたしは山の子だ。